2013年7月17日水曜日

アドルフ・ヒトラーの我が闘争を読んでいます

何をやった人か誰でも知っていると思います。

まあでも自分の5感以外の情報なんてものは、いつだって不確かなもの。

妙な偏見を捨てて、友人の書いた本だと思いながら読んでいます。現在まだ100ページ強読んだくらいですかね。

ここに書かれているものが、完全に彼の本心をストレートに表現しているものかどうかはわかりません。読み手として「民衆」を意識している前提と「学者や政治家」を意識している場合では表現も論調も変わると思います。

一応、裏がなくストレートに書いているという前提で考えると、ヒトラーという人は真面目なんだなと感じました。第1次大戦後の世界においてドイツ民族と各国家の有り体、王族、貴族、企業家と労働者、政治の理想と現実、金の力とユダヤ人。

彼の目には皆がやるべきことをやっていない憤りとドイツ民族が真面目に社会を支えているという自負に近い思い、政治のていたらくとユダヤ人の金と権力と怠惰。

民衆向けに権力者をこき下ろすスタイルもあったかも知れませんが、根本的にそういった思いがあったことは間違いないと思います。

彼が真面目すぎるが故に、ドイツ民族全体が感じていたであろう不公平感と、特に権力者のやるべきことすらやらない怠惰、それによって生まれている非効率が許せなかったんじゃないかと思いました。


こうやって書くと人ごととして感じますけど、僕はこれ、今の日本の状況と重なる部分が大きいと感じましたよ。敗戦国日本が戦後憲法から教育まで使って戦勝国によって自虐感を植え付けられ、そんな中でも奇跡的な復興を遂げた。周辺国にも気を配り続け、多大な経済支援を民間問わず続けたにもかかわらず、近隣国家は反日活動を続けている。

今、日本全体に不公平感が蔓延していることは誰も否定できないと思います。


この国にヒトラーのような煽動家がでない保証ってあるんでしょうか?
マスコミや教育のやっている情報の押さえ込みはいい結果を生むでしょうか?
15億人の極東アジアの人々のうち、誰一人として戦争の引き金を引きませんか?

歴史を研究する意味は民族の優位性を示すためでは決してなく、過去に学び同じ過ちを繰り返さないことであるためです。ドイツでは我が闘争は発禁になっていますが、タブーを排除し過去に真摯に学ぶ知恵を文化を皆で共有して、民間レベルから馬鹿な争いをしないようになると良いですね。


まー、僕は結構楽観的に考えていて、インターネットがある限り世界大戦はもうないかなと思います。コミュニケーションの力を信じているので。


また面白い考察に至ったら感想かきます。

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