2013年3月16日土曜日

カオスの発想

まだ読み途中ですが、ちょっとだけ思ったことを。

理系は論理から考えがちですからね。要素が多すぎて論理的に説明しにくいものをカオスとよんで論理的に考えようとしてるわけですが(笑)

それはソフトウェア開発、チームでのもの作りでの現場でも起きてるんですよという当たり前のようなことを書いてある本を読んでいます。

この辺りへの考察はまたあとで書こうと思いますが、理系ばっかり集まってやってると、みんな視野が狭くて馬鹿馬鹿しいことが問題になったりすることはよくあります


この本、ソフトウェアが秩序あるかたちの、あるべき姿を中心に書かれているんですが、僕はそこに違和感を感じてしまいます。

モノは人間が使うもの。いくらモノがあるべき姿をしていても、使う人間がその先を見ることができてなくては結果あるべき在りようにはならないと思うのです。

皆さんご存じの通り、人間は完全合理からは程遠い生き物です。流行に流されますし、広告だって直感的に判断します。割引も実際の金額を書かれるより、80%オフ!と曖昧に書かれた方が安く感じるものです。

ある種、社会的生存というパラダイムでは合理的ではあるんですけどね。

まぁつまり何が言いたいかというと、モノは使う人間に合わせて作るべきであって、利用者のパラダイムのなかのカオスから生み出され、進化していくのがあるべき姿ではないかと思うのです。


少なくとも建築や陶芸のような昔からあるもの作りはそういった流れになっていると思いますし、作り手は利用者を無視してあるべき姿を論じたりしない。


これが日本のもの作りなのかもしれませんが、少なくともソフトウェア開発者は自分達のエゴを反省すべきかなと、戒めの意味も込めて、強く思いました

0 件のコメント:

コメントを投稿