2013年3月20日水曜日

日本と社会と会社と組織

組織論を語る上で僕は人間個人という要素の分析無くしてはありえないと思っている。

昨今の書籍を見るに、組織を語っているものの多くはカテゴライズやセグメンテーションなどを中心に論じ、実験的見地や統計的アプローチで語られることが多いように思える。


組織は人の集まりであるのに、なぜ人間を論じないのだろう?


僕は皆、人間を勘違いしているからだと思う。


特に誇り高く生きている人ほど、己のアイデンティティを疑わない。


人間の脳はインプットに対して反応することが得意だ。


五感からの情報、身体からの信号、内部記憶をインプットにした反応


前者2つは生理的に馴染みやすく、皆自然とやっているし、これがほとんどの人間の活動を占めている。これらのほとんどは「受け身」な活動である。発端がすべて情報のインプットだからだ。

その流れは以下のようになる。

上司から公衆の面前で叱責されたというインプットがあったとする。これに対し過去の経験や知識を引っ張りだして、どのような反応をすべきか判断する。例えばこの上司が常に不条理な行動をしており、全員から疎まれていて、常に彼を引きずり下ろすチャンスを狙っている人だったらここぞとばかりに彼の落ち度を指摘するだろう。そうであっても、彼が勝手に転がり落ちる事で得られる効果の方が高いと知識や経験で知っている人なら、そこで彼が踏み外すであろう土台を築くように立ちまわるかもしれない。

そしてその結果どうなったかを「フィードバック」として受け取り、新たに自分の経験や知識として蓄えておく。落ち度を指摘して、逆に上司に論破されれば、そういった経験が内部記憶として保存され、次に同じ状況になった時に落ち度を指摘するという選択肢を選ぶ可能性が下がるのだ。

人間は概ねこのような活動を経て、様々なことを経験し、成長していく。失敗は成功のもとという格言はこういった活動がスタンダードであることを示していると思う。



これに対して内部記憶をインプットにした反応は全く逆の性質を持つ。


過去、経験した体験や収集した知識が大脳に貯蔵されている。

人間はこれらの分析を行うことが出来る。

知識の内容を精査したり組み合わせたりして、補完すべき知識や新しいアイディアに行き着く。

これをインプットとして外部に働きかける。例えば人に意見を聞いたり、インターネットで検索したりする行為がそれにあたるだろう。

こういった行為は新しい知識の獲得や、次のステップへ進むためのきっかけとなり、また新しいインプットを生み、かつ、受け身な反応をより合理的にすることを助けるだろう。


これがいわゆる「主体的な活動」という事になる。

これらは非常にエネルギーやスキルを必要とするサイクルで、そう簡単にできることではない。しかし、このサイクルを身につけることで人間は成長の永久機関を手に入れることができる。


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僕が思うに、人間ができることなんてこれが全てなのです。

人間の成長は経験や知識の増加であり、その量と種類が価値観を生む。価値観は絶対的判断基準の骨子であり、憲法のようなもの。


そして忘れてはならないのは冒頭に書いたアイデンティティ。アイデンティティは判断の集合であり、それは基本的に価値観とニアイコールにあるはずです。


人間は記憶に由来する価値観が全てであるがゆえに、主体的観点から離れることが非常に難しいのです。

記憶を疑うことは判断ができなくなることとイコールであることが原因かもしれません。


だからこそ、人と接する時は、その人の価値観が非常に重要になるのです。それはその人そのものなのですから。

そして、価値観はその人の過去の全てを知らない限りは把握しきれるものではありません。過去のどんな経験が彼の判断基準となっているかなんて知るよしもない事なのですから。(例えば僕は「だって」という言葉を絶対に使わないのですが、その理由が小さい頃に母から禁止令を出されていたからと言うことは親しい友人でも知らないでしょう)



ここまで考えて、ある程度訓練された人間で組織された集団を考えます。

彼らは集団の目的を理解し、それを遂行するための力を主体的に獲得することもできます。集団の問題点を個々が指摘する能力も備えています。


こんな集団なら秩序ある状態を常に保つことが出来るでしょうか?


これをここまで読んでいる人なら皆こう言うでしょう「NO」


ではなぜ100%目的に向かって邁進することが出来ないのでしょうか?


カオス理論的発想ではフィードバックによるカオスがコントロール出来ないからだと説明しています。

しかし、人間組織に絞って考えてみれば、カオスを生む人間のフィードバックはなぜ発せられるのか?それはコントロール出来るようなものではないのか?


僕は最近の日本の組織の一番大きなカオスの原因は、時代が変わったことだと思っています。


スポーツの世界ではすでに変わりきったと言えるのではないかと思いますが、価値観がより論理的、合理的な方向に振れていて、特に若い世代は反応がよく、年老いた世代がついていけていないのが経済界の現状ではないかと思うのです。

その結果、世代間で軋轢を生むことは想像に難しくないでしょう。しかもたちの悪い事に、論理的見地に立っている若者世代のほうが弁が立つ。もうひとつ言えば現行のリーダー世代は結果を出せていない。日本の凋落を生んでいるのは確実に団塊下から中間管理職の世代です。


ここまで分析出来れば、今の日本の組織において、どのように運営していけばうまくいくのか歴然としていると思います。



若者世代は、訴えることを止めてはいけません。でも、期待はしてはいけません。



リーダー達、もっと若者をうまく使いましょう。そのためには非も認めましょう。自分の部下たちの価値観を意識したことはありますか?

組織の目的を忘れてはいけません。社会の仕組みも考えなければいけません。あなた方の生活の安泰は、全て将来の日本経済の安泰あってこそだということは、昨今の年金問題で身にしみて理解されておられるかと思います。



僕から見れば、世の中非常にシンプルなんですけどね






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